食べたい気持ち

食べたい気持ち「食べたい」という欲求は、からだが要求するサイン
ある経営コンサルタントの社長さんの話です。年齢は五二歳、背丈ほ一七〇センチくらいで痩身、食べ物に好き嫌いはなく、ずっと病気知らずです。何でも食べますが、けっして食べ過ぎません。たばこも吸い、お酒もよく飲みます。たまに、若い連中と明け方まで飲んでたなどと自慢しています。そんな左党ですから、甘いものは原則的に口にしないのですが、ごくまれに事務所でドロップをなめていたりします。社員が「あれ、めずらしいですね」というと、「うん、なんだか急に食べたくなってね。からだが要求しているのかなあ」と涼しい顔をしています。
自然治癒力という点からいえば、こうした自然体の食生活はなかなかいい線をいっているといえるでしょう。『養生訓』という本を著した江戸時代の学者貝原益軒は、そのなかで「食養生の基本は、好きなものをすこし食べること」といっています。好きなものとは〝好物″という意味ではなく、〝そのときどきに食べたいもの″ という意味です。いいかえれば、からだが欲している食べ物といっていいでしょう。そして「すこし食べる」というのは、食べ過ぎと飽食をいましめているのです。
だいたい人間のからだというのは、自然にバランスをとるようにできています。いくらステーキが好きだといっても、毎日つづけて食べたいとは思いません。日本人なら、昨日ステーキなら今日は寿司、またはそばなどのさっばりしたもの、あるいは野菜を豊富に使った和食などと、自然に頭に浮かんでくるものです。
私もよく講演などで、「そのとき本気で食べたいと思うものが、そのときのからだにもっとも合ったもの」という話をします。事実、食べたいと思うものは、そのときのからだが要求しているもので、そのサイン通りにしてやることがいいのです。
だからこの道に、嫌なものを無理に食べることは不自然であり、からだにとっては最悪といえるでしょう。それはけっして栄養にはならないし、自然治癒力を高めることにはつながりません。たとえば外で他人と会食しているときに、満腹だからといって自分だけ残すのも気がひけるので、無理しても全部平らげてしまったりします。そして後で胃腸薬を飲んだりしています。
またにんじんが嫌いな小さな子どもに、カロチンやピタミンが豊富でからだにいいからというので、叱って無理矢理食べさせる親がいたりします。子どもは半ペソをかきながらまずそうに呑み込んだりしますが、こんなことは何の意味もありません。いやいや食べたものは、からだのなかで本来の効力を発揮することはむずかしいのです。
何でも「おいしい」と思い、味わって食べてみてはじめて栄養となるのです。
そういう点からいって、偏食や食べ残しをそんなに悪いことと決めつけることもないでしょう。野菜はほとんど嫌いだけど、キャベツなら食べられるという人も実際にいますが、そんな人でもふつうに生活しています。要するに自然治癒力を高めるには、何でもある程度「おいしい」という喜びを感じて食べることがたいせつです。